武蔵小杉ハートクリニック

院長ブログ

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武蔵小杉と私。


皆さんこんばんは。院長(仮)の菊池です。

最近、武蔵小杉の特集をメディアでよく目にします。激変著しいこの町ですが、自分と武蔵小杉との関りは、21年前に遡ります。

自分の母校である日本医科大学医学部では、入学してからの2年間、武蔵小杉のすぐ隣の新丸子校舎で教養課程を学んでいました。現在は移転して武蔵境にある日本獣医生命科学大学キャンパス内にあり、一方で新丸子校舎は川崎市立小杉小学校(仮称)として生まれ変わる予定で目下建設中です。
多くの日本医大卒業生の学生時代の思い出と言えば、新丸子、武蔵小杉と共にあります。なぜなら、医学を学ぶ本課程は都内の千駄木校舎で学びますが、クラブ活動、特に体育会の運動部に所属していると新丸子校舎の中にある体育館や隣のグランドが練習場となっているため、学生時代の6年間(ときに7~8年のヤツもいる・・・。)ほぼ毎週、練習激しい系の部活だと毎日のように通っていたからです。大抵の学生は何等かの部活動を行っているため、新丸子や武蔵小杉と関わり合いながら学生時代を過ごしていたわけです。

自分が教養課程の学生だった頃の武蔵小杉といえば、今とは全く別の町です。
高い建物といえば、タワープレイスとNEC本社ビルしかありませんでした。いま、タワーマンションが林立するエリアは、確か、大きな工場だったと記憶しています。横須賀線の駅もありませんでした。タワープレイスの前にはホテル(エルシィ?だったかな??)が1つあるだけで、南武線の南側から工場の方は”THE・昭和!”な飲み屋が軒を連ねていました。授業の後(時に授業中も ( ゚Д゚)!! )、部活の練習後には、この辺の飲み屋や雀荘に大変お世話になりましたが・・・通ってた雀荘のおばちゃんは今も元気かな?

で、この時点の記憶で一旦、武蔵小杉とはサヨナラします。千駄木の本院に研修医として就職し、その後は医局人事で日本医科大学千葉北総病院→博慈会記念病院(東京都足立区)→静岡医療センター→日本医科大学多摩永山病院と異動したためです。そして2010年、日本医科大学武蔵小杉病院に異動となり、約8年ぶりに武蔵小杉の町に足を踏み入れることになったのですが・・・

なんじゃこりゃあー!!

松田優作もびっくりです。

そこには全く別の町がありました。しかも、真新しい横須賀線口から出たものでしたから、衝撃はなおさらです。きれいに区画整理され、聳え立つ摩天楼!町を行く人々もなんだか洗練されて見えます。
最初、本当に降りる駅を間違えたと思って、駅員さんに「武蔵小杉って、この駅以外にありましたっけ??」と聞いたくらいです。
そこで、少し疑問が解けました。自分の知っている武蔵小杉駅は、南武線+東横線の駅なので、少し離れているんですね。駅員さんに言われた通り、タワーマンションの間を抜けたところに・・・ありました!自分の知ってる武蔵小杉駅が。

そこからは毎日通いましたから、今の姿に徐々に近づいていく様を日々見てきました。タワーマンションは数棟増え、むかし一番高かったタワープレイスは埋もれています。道や駅は人で溢れかえっています。20年前、こうなることを想像した人は何人いたことでしょう?日本でも有数の短期間激変地域だと思います。

ちなみに、いつも同僚たちと話しているのは、「タワーマンションって、”あっ!”っというまに建つよね」という話。空に向かってタケノコのように(といっても、生でタケノコの成長をみたことは無いですが。)ビューンと伸びて行って、いつの間にか夜には明かりが灯っています。建築技術ってすごいですね。
今後も増えることでしょう。タワーマンション。自分が知っているだけでもあと4棟は建築中or計画中がある模様です。町の変遷は楽しみである一方、様々な問題も起きているようですので少々不安でもあります。しかしながら、微力でもこの町で一緒に生きる人たちの健康を守ることを、実地医家として自分のできる限りでやっていこうと思う今日この頃です。

美しい夜景を眺めながら・・・。

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